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パリ ポンピドゥーセンター キュビスム展―美の革命 ピカソ、ブラックからドローネー、シャガールへを鑑賞してきました #04

みなさん、こんにちは。今日は2023年11月13日(月曜日)。東京は冬がやってきました。「秋がないような夏から一気に冬へ」といった感覚です。日記のこの記事に書いたのですが、このブログようにデジカメを購入しましたが、どうしても理想的な写真が撮影できていません。。。新しいカメラを探しているので次の展覧会の時はもう少し綺麗な写真を掲載できるかもしれません。今しばらく我慢してください。

さて、先日、行ってきた国立西洋美術館で開催されている「パパリ ポンピドゥーセンター キュビスム展 ― 美の革命」、昨日の記事では「キュビスムの始まりと、キュビスムは3つの時代に分けることができる」について紹介してみました。今日は「初期のキュビスムと分析的キュビスム」とを紹介していきます。

セザンヌの影響が色濃く残っている初期のキュビスム

まずは、パブロ・ピカソとジョルジュ・ブラックの2人ではじめた画法がキュビスムと呼ばれるきっかけとなった絵を紹介します。ジョルジュ・ブラックが描いた1枚はポール・セザンヌに大きく影響を受けているのが見て取れる絵です。



ジョルジュ・ブラック   《レスタックの高架橋》   1908年 初頭

1.筆跡をあえて残して描き
2.単純化
1.遠近法を無視して多視点で描く

キュビスムと呼ばれた作品を最初に描いたのは「ジョルジュ・ブラック」

セザンヌの風景画の影響が色濃くのこっている絵となっていますが、その中に家を単純化した立方体で描きカーンワイラー画廊で発表。この絵をみた美術評論家「ルイ・ヴォークセル」が新聞紙「ジル・ブラス」に「CUBE(キューブ)」と呼び、そこから「キュビスム」という言葉が生まれました。
セザンヌの画法についてはこちらからご確認ください。

ブラックの作品は他にも展示されています。

ジョルジュ・ブラック   《レスタックの道》   1908年

ジョルジュ・ブラック   《レスタックのテラス》   1908年 夏

ジョルジュ・ブラック   《楽器》   1908年 秋

分析的キュビスムとは?

ピカソとブラックが出会ったのは1907年、仲を深めお互いのアトリエを行き来しながら交流を深めたのは1908年冬頃。今紹介したブラックの作品が描かれた頃です。翌年の1909年夏頃に2人は「分析的キュビスム」の作品を描くようになります。

「分析的キュビスム」と称される絵画は、描こうとする対象物を小さく分断し、形を再構築しながら対象を描いています。結果、対象物や背景の境界が消え、1つにあわさったような絵になったり、形状の面白さや新しさを追求することに集中していたので、色数は制限されたのも特徴的です。幾何学的な図柄も多数用いられて描かれているので、抽象的な要素も感じられる画法となっていきました。

1910年以降は幾何学的要素の図柄を用いた結果、何を描いているのか理解しずらい作品も登場してきました。写実的に作家が目に見えたものを描くのではなく、作家自身が構築した新しいイメージを描くようになっていきました。

それでは、展示されていた「分析的キュビスム」の作品を何点か紹介します。(※展覧会場では撮影禁止の作品も多数あったので全部は紹介できません。)

パブロ・ピカソ   《女性の胸像》   1909-1910年

パブロ・ピカソ   《肘掛け椅子に座る女性》   1910年

ジョルジュ・ブラック   《レスタックのリオ・ティントの工場》   1910年 秋

ジョルジュ・ブラック   《ヴァイオリンのある静物》   1911年

色数も限定され、ヴァイオリンがあるかどうかすら、分からなくなってきています。主役になる対象物と背景の境目もわかりにくくなってきましたね。

ジョルジュ・ブラック   《静物》   1910-1911年

ジョルジュ・ブラック   《円卓》   1911年 秋

まとめ

写真が多めになりましたが、「分析的キュビスム」の雰囲気がわかったのではないでしょうか?実際の展覧会場では撮影禁止の作品もあり、まだまだ沢山展示されていました。次の記事ではキュビスムが色彩豊かに彩られていく時代の「総合的キュビスム」を紹介いたします。

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